趣味と性癖が方向音痴

底辺ツイッタラーが思うままに気ままに書き連ねる戯言備忘録

花火の話、或いはわしの根源

お久しぶりです。
何度も色々なネタで書こうと思いつつも書きは消し、書きは消しを繰り返しておりました。

今回は何を書くのかと言うと、祭りに実質付随品こと、HA☆NA☆BIです。

なんでいきなりHANABIなのかというと理由は無いです。なんでなのでしょうね?解った方はおせーて下さい。

そんな戯言はさておき、「花火は少し隠れて見えているのと、遮蔽物が無く全部見えている状態どちらが好き?」と聞くと大体遮蔽物皆無フルオープン!の方が好きと言うのですよね。
私は、建物に6割くらい花火が隠れている状態がすこで、一度に多量をぶっぱなされるのではなく、大きい花火を一度ぶっぱなされる方が好きなのですよね。
で、何故、我は大輪の花が少し隠れている方が好きなのかを考えてみましたら、花火に求めるものというか感じるものが「華やかさ」よりも「儚さ」だからかな?と思いましてね。

どうしてその結論になったのん?と言いますと、

当然花火は綺麗じゃないですか。でも、暗闇に咲いたら儚く散りゆく運命で、ですが、散ることが解っているからこそ、その一瞬の煌めきが何事にも変え難い華やかな儚さになる…

そして、少し話はズレますが、私は兼ねてよりバッドエンドや、破滅的な話、激情と不条理とどうしようもなさを暗さと共にドロッドロに煮込んでぐちゃぐちゃにしたような話、感情と感情がぶつかり合う話が好きと言っていまして。

これらは悲劇的な話を読んで暗い気持ちになりたいとかではなく、これらの物語や歌などは必ず大きな熱量を持っていてその熱量が弾ける、爆散するところを私は見たいのだろうなと。そして、物語などが終幕が決まっているなら大体最後に致死量の感情の爆発を見せてくれるじやないですか?

私はその、『散り行く運命と知りながら不完全でも咲き誇る花火』を見て育った感性を『物語の最後に待ち受ける感情の暴発、激情の発露』に重ねているのかなと。

つまり、私の感性の根源は花火から来ているのではないかなと、思考する次第。

女子高生に関しても同じことが言えると思うのですよ。
大人と子供の中間、不完全ながらもはっきりとした自我、自分以外にも周り目がかつてより向くようになる、限られた時間、期間、関係。制服で上辺を整形され、学園生活で内面も整形される。
そんな中途半端で、抑圧に塗れた世界が全てに感じる3年間は些細なことが大事で、教室の出来事が全てという、不安定な花達が歪に、然れども真っ直ぐに咲き誇る。でも、それらは僅かな期間に消えゆく泡沫。
しかし、それ故、花は激しく美しく咲いて泡沫に消え行く。そんなところが花火に通じるのかな…などと。

貴様の重大性癖、眼鏡は?
それは…なんだろうね?遺伝子に刻まれたものがツイッタで開花したんじゃない?(適当)